泰平です
景勝の背負った刀はどうやって背中にくっついているんでしょうか、両面テープでしょうか。
景勝はケンシンコーや兼続のような不思議な力はまったく持っていないとおもいます。持っていないというより、もうまったく残っていないとおもいます。
兼続が与六、景勝が喜平次だった頃は二人とも同じくらいの不思議な力を持っていた、景勝もしおれた花の息を吹き返させるくらいのことはできた。ケンシンコーのもとで修行を詰んで、大人になれば自分も義父上のようになれると思っていた。
思っていたし信じていたけど、どれだけ修行をしてもひとつまたひとつ、歳を重ねるにつれてその力はだんだんと弱くなっていった。子どもの頃はあんなにこの身に感じていた義父上の御力もほとんどわからなくなってしまった。しおれた花に手をかざしても、花はしおれたままだった。自分は毘沙門天の御加護を受けられなかったのだろうか。そんな景勝を余所に、兼続はおそろしいほど人ならぬ力をつけていって、
兄弟のように共に過ごした兼続に、景勝は引け目とか劣等感とか、全く無かったわけではないとおもいますが、景勝も利口な子どもだったとおもうので、自分のできることをといってあの、腕のほう、武のほうを死にものぐるいで磨いたんじゃないかと。
手の届かない存在に必死に近づこうとしてきたのに、その己の意思に反して己自身が遠ざかっていく、焦りとかどうしようもできない恐怖とか絶望もあったとおもいます。ケンシンコーも兼続も目に見えるのに、どっかその存在が白い光につつまれて、いつか自分とは遠く別の世界に行ってしまうんじゃないかと錯覚さえする。気付いたら自分だけ、ただの人間になってしまっていた。
そういう力のある家系に生まれたのに、人間になってしまって、どうしようもできない、できない、無い、頭抱えて、でも諦めと紙一重の吹っ切れで飛んだ時、景勝とても強くなるとおもいます。吹っ切れ、ケンシンコーが死んだ時かもしれない。もうやるしかない。どうしようもなくてもやるしかない。力は、兼続がいる、兼続に、導いてくれと言ったかもしれない。
上杉という家の中で力は無くても景勝、心は誰よりも強いとおもいます。
ええとあとちょいちょいいろいろ、まとまらん、日本語が不自由です。景勝はケンシンコーと兼続みたいな力は無いんじゃないの!!の妄想です。
景勝の力が弱まっていったのは、子どもの頃は幽霊が見えていたのに大人になったら見えなくなってしまっていたとか、そういうのに似ている現象だと思います。
あと武器の話でちょっと、ケンシンコーと兼続の武器が七支刀と金剛杵のような神具の形をしているのに対し景勝のは普通の刀で神と人、しかも景勝がその刀を四本背負っているのが背光に見えなくもなくて、神仏に近くありたい人間の足掻きのようで複雑な気持ちになります。うん、考え過ぎだとおもいます。
なんか、だからなんだよ?というかんじになりましたけど、景勝そんなかんじだとおもいます。