泰平です
惇の髪型に驚いたのがついこのあいだのつもりがもうすぐ一ヶ月経つようです。びびります。年末じゃーん!!て変なテンションになります。じわじわいそがしくなってまいりました。
試験前の学生のノリでまんがを三個上げました。
ええと、遊びでも周泰が孫権の影を踏めないのは、孫権が偉い人の子どもで自分よりも偉い人だからだとか、周泰が孫権を護る役だからだとか、そういうのも多少はある(というかあるとしたら人に説明するときの表向きの理由で)かもしれないけど、たぶんそういうことよりも、孫権の影を踏むということは周泰の中で禁忌となっていて、できないのだと思います。禁忌といっても周泰が孫権の影を踏んだところで周泰の力が弱くなるだとか周泰の世界が変わるだとかこの世界が変わるだとか孫呉が滅ぶだとか孫権が病気にるだとか孫権の世界が変わるだとかは一切しないけど、踏んだらいけないんです。周泰は、自分が、踏んだらいけないと思ってるんです。木や石でできた仏像を仏として祈ったり、大きな岩に神様が宿っているといって崇めたり、特別なものでも特別でないものでもそのものに神聖ななにかが宿ると信じたり、そこに確かな姿がないものを在るものとして祈る、崇める行為に似ているものだと思います。そうだと、思うこと、行うことに、意味がある行為なんだと思います、周泰が孫権の影を踏まないとう行為。なんだ、行為自体に意味がある。
て、周泰はこの、自分の行為をまもってんですが、そうなると、周泰は、その行為をまもるために孫権を護ってんのか、ていう話が上がって、よくわからんです。べつに周泰は孫権の影を踏んでもいいんですが、踏むという行為に踏み切れないんです。背中を押された先に孫権の影があって踏んづけたとか、なんでもいい、些細なきっかけというか事件があって踏んづけたのならばそれは、ああ、踏んだ、で済んで終わってしまってそれはそれでまあいいことなんですけど、だめなんです。周泰は、孫権が周泰に影を踏んでほしいことも知ってるけど踏まない。
孫権は、周泰が護る人として在るのはもうとてつもなくありがたく思っているけど、その周泰が護るべき相手としてなのかなんなのか、自分の影すら踏んでくれないことで自分と周泰が遠いところにいるように感じているようなところもあって、主従である以前に同じ人間なのにってもどかしいような寂しいような気持ち持ってるんじゃないかと思います。周泰は孫権の影が延びている範囲にはけっして近づいてこないとか。なんかなあ、だってさあそんな、長く一緒にいるのに、主と従っていうそんな、ほんとうに上辺だけの関係なんて寂しいじゃないすか、ていうの。子どもだったらそんな、関係としての関係よりも、そんなのいらないから一緒に、同じ立場として遊んでくれたほうが嬉しいじゃんね。主従っていう関係では孫権が上で周泰が下だけれども、一緒に遊ぶ、遊んでくださいということになると、孫権が、遊んでくださいになるんだと思うんです。はっきりと遊んでくださいの言葉で遊んでくださいを言っていないにしろ、わたしと一緒に遊んでくださいをずっと言い続けている孫権のその願望を周泰もずっと静かに首を振って拒んでいるんです。頑固なんだなあ。ようくわからなくなってきた。ちょっとそんな互いに貧弱ながらゆずれない面あんじゃねえのっていう関係 を 妄想 しました。日本語の勉強をしようと思いました。
あああーでも頑固っていう面では周泰は大人になったらそこんとこ結構いいかげんになったりしてんじゃないかと思います。孫権のことある程度ほっといても死なないだろーってわかってるから。職務怠慢だなあ。でもいざとなったら来るよ。きっと来るよ。怖いよ。あいつ怖いよ。たぶん。
というかそもそも、孫策も太史慈も孫権も周泰も、子どもの頃はみんなべつべつのところで生きてたしな!ていう話でした。