漫画のデータサイズがでかすぎてブログに上げられないという事案が発生...泰平です、
近いうちにサイトにでも上げようとおもいます
明日は交地ですね、いいなあ。死ぬまでにおたく活動で本の一冊でもだせたらなあと思ったりもしてるんですが、遥か遠い夢です...。いいなあ...。ここんとこ太史慈と孫策のまじめな話を考えてみたりもしてたんですが、言わせたいこととかかきたいものとかはあるんですが、如何せん頭悪いので鼻くそみたいな、断片的な描写みたいなものしか出てこず、話考えられる方々はほんとにすごいなあとおもいました。自分で話考えて自分で描いてますんでしょ...とんでもねえや...漫画かく能力ください...。
孫策が心此処に在らずになったのはやっぱり孫堅が死んでからで、孫策はすげえ孫堅に心酔、妄信、盲信していたから、"親父の天下"を見ていたから、その先の、親父の死など考えてもいなかった(或いは親父の夢を見すぎて常に隣にあって離れないそれらの影が見えていなかった)から、親父の死を突き付けられた時に、突き放されたような、夢のおわり、親父の夢が自分の夢に成り得るか、孫堅が生きていた時は孫策の夢は天下ではなく親父の天下、親父だったわけで、なんというか、勿論孫堅が死ねば孫堅が背負ってたものぜんぶ孫策に降り掛かるわけなんだが、その、表向きの飾りの夢とかじゃなくて、飾りの夢は継がれても、孫堅が死んだそこでもう孫策の夢は絶たれてしまったわけで、夢破れたからこころがどうこうなるってわけじゃあないけれど、突き放された時に、ちょっと抜け落ちちゃったんだなあて、脱落、純粋すぎたんだなあて、いうそれがあっての心がどこにもいない孫策 を見た太史慈が、こいつはやべえなと思う ん です ?なんか前に太史慈は生と自己への認識を求めて孫策に云々言いましたがべつにそうでなくてもただ孫策があぶねえ奴だから見てなきゃっていう思いだけでもいいのかなとか、うーん、太史慈が抱くのは手にとれない生への実感やどんなに意識しても不確かな自己への不安とかよりも孫策の目の中の洞洞としたうつろへの恐怖かなとか、ね、だって目の前にいながらもどこにもいない人を相手にしていたらその人自身誰を相手にしているのかわかんなくなっちまいますっていう、こわいものから目が離せない、あなたはどこにいるんですかっていう、そういうの、わからなくなってきたなあ!!
とりあえず孫策が脱落、欠落させたものを完全に取り戻すには時間が、足りなかったんじゃないかなあとおもいました。ぽっかり空いた穴を抱いたまま孫策も死んじゃった。どこにいるのかわからなかったのが、本当にもう、どこにいるんですかなんて聞けないどっかにいっちゃった。太史慈なあ、孫策はどこにいたんだろうね。夢みたいだったなあ。そうそう夢とうつつの話もしたい。あらまあ。
いつもそうなんですが考えまとまらないし、後日日記とかを読み返しても自分自身、なに言ってんだこいつ状態なのでもうどうしょうもないです。アッー!!
ちなみに太史慈孫策間に恋愛感情はありません。どうでもいいか。たいせつなんです。
なに言ってんだこいつ...